坊ブロ「NAM-NAM!!!」1限(初投稿)
こんばんわ!
黒潮美遊、踊り子
円福寺副住職の平幡龍正です!
ここでは読者の皆さまに、仏教についてのあれこれをできる限り分かりやすく、また時々面白おかしくご紹介したいと思います。
黒潮美遊の新作のタイトルのなかに「無月」という言葉があるということで、
今回は、月にまつわる仏教のお話をさせていただきます。
その前に、日本の仏教は、いくつかの宗派(しゅうは)に分けられます。宗派によってそれぞれの教えが存在し、その教えをもとに各宗派のお坊さんたちは修行をします。
浄土宗、真言宗、天台宗など、皆さまも聞いたことあるとおもいます。
面白いことに、宗派が違うだけで、唱えるお経も全くと言っていいほど違います。
仏教をよさこいに置き換えるなら、よさこいにもいくつかのチームがあり、チームによってそれぞれ教えや特色やスタイルが違うようなものでしょう。
円福寺は真言宗(しんごんしゅう)という宗派のお寺です。
その真言宗の教えのひとつに
月輪観(がちりんかん)
という観想(かんそう)方法があります。
観想とは、対象物をじっと観ながら、それを自らの頭のなかでもイメージし、自分と仏さまが一体となることを目標とする、真言宗の修行のひとつです。
観想の対義語のようなことばで、皆さまがよく耳にするのが
瞑想(めいそう)
です。
瞑想は目を閉じて考えることなので、観想のような観る対象物はなく、自らの心だけで深く想像します。
さて、月輪(がちりん)とは、月のことをいいます。月は月でも、「月の輪」というぐらいですから、満月のことです。この月輪が自分のなかのどの部分にあたるのか?その部分について深く想像することが月輪観という修行になります。
その部分とはズバリ、「心」です。
「我、みずからの心を見るに、形は月輪の如し」という言葉があります。
私たち人間の心は、中秋の名月のように円満にして清浄(美しい、綺麗)であり、それが光に満ちていることを想像し体得することこそが、月輪観の目的です。
この月輪観が実践できたら、次のステップアップに阿字観(あじかん)
という観想があるのですが、
長々と書いてしまっても皆さま疲れてしまうので、
今回はこの辺りまでにしておこうかと思います。笑
また気が向いたときに、阿字観についてもお話しさせていただきます。
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